園だより

2023.10.18

過保護と過干渉と放任主義…について

先日、「過保護」と「過干渉」と「放任主義」について、園長はどう考えるか?というご質問をいただきました。
改めて考える機会をいただきまして、ありがとうございます。
せっかくご質問いただきましたので、私なりの考えを書いてみたいと思います。

まず初めに。
最近何かと言われるようになった「自己肯定感」
端的に言えば「私は私である」「私は私であって良いんだ」という感覚のことを言うのだと思いますが、この感覚は、日々を生きる中での「精神的な柱」になると考えられます。
他人との関係性を構築する場面であったり、何かを選択(決定)する際の判断基準であったり、言わば人生の指針・支えとなる感覚ですよね。

今、津市の「健康づくり推進懇話会」という集まりで委員をさせていただいているのですが、先日のグループワークで「今なぜ自己肯定感の低い人が多いのか」ということが話題になっていました。
子どもだけでなく、大人の方も多いとのことです。
これも時代性でしょうか。

さて、なぜでしょうか。

ここでも以前に書いたことがあるので一部重複した内容になりますが、私は「大人の介入」が過ぎるからではないかと考えています。
つまり「過干渉」「過保護」です。
私はこの二つをほぼ同義語と解釈していまして(厳密には違う言葉なのでしょうけれども)、それはなぜかと言いますと、どちらも「大人(親)の心を満たす」傾向の関わり方を指していると考えるからです。
子どもを尊重しているようでいて、大人(親)自身の満足・安心につながることが優先されている状態を指しているように思います。
ただ誤解のないようにしておきたいのは、「過干渉」「過保護」が良いのか悪いのか、その正解を私は持っていませんし、ご家庭の状況はひとつひとつ違うので、一概に言えることではないということです。
また「正解を出す」=「子どもの幸せにつながる」と言い切る根拠も持っていません。
園長(大人)の情けない姿を見せる、失敗した場面を見せる、そのことを子どもの気づきにつながるきっかけにする…つまり不正解を学びにつなげる。
私のよく用いる手法でもあります。

ここでひとつエピソードを。
毎年、幼稚園に燕が巣を作ります。
巣の中に卵を産み、雛が孵ったら餌をあげ続け…とここまでは、親鳥がすべてしています。
しかし、いざ飛び立つそのとき…親鳥は、飛ぶお手本は見せますが、雛が何度失敗しても助けることはありません。
ただ、どこからかじっと見守っているようです。
雛が敵に狙われないようにしっかりと見守っているようですが、姿は現しませんし手も出しません。
そこを乗り越えてこそ、ついに雛は「燕となって」自らの翼で大空に飛び立つことができるのです。

人は、大人になったから(年齢を重ねたから)自動的に自己肯定感を獲得するわけではないと思います。
「自らの翼(力)で大空(社会)に飛び立つ」経験をするからこそ、自己肯定感を獲得するのでしょう。
逆に言えば、その経験をする機会がなければ、生涯、自己肯定感を獲得することはないと言えるのではないでしょうか。
先述の「自己肯定感の低い人が多い」というのは、「そういった経験をする機会と出会えなかった人」と言えるのかも知れませんね。

まとめ。
「過干渉」「過保護」は自己肯定感を育まない可能性がある。
また、子ども自身の「考える意欲」を減退させる恐れがある。
何かを決定・選択するときというのはとても怖く、勇気がいるものです。
その恐怖に立ち向かう意欲(自信)というのは、自分で考え、自分で経験することで獲得しているように思います。
失敗するからこそ成功に意味が生まれ、そして成功することで自信や意欲を獲得するわけですから、「失敗しないように」するための「過干渉」「過保護」は、本末転倒なのかも知れません。

しかし、私が園での教育や運営、自らの生活等で一番大切にしているのは「バランス」です。
「いい塩梅」「ちょうどいい」感じ。

ですから、「過干渉」「過保護」をするなと言いたいのではなく、何事も片一方に傾き過ぎないバランスが要なのではないでしょうか。
何をもって「過干渉」「過保護」とするのかはご家庭やお人、環境や事情によっても大きく違いますし、場面によっても違います。
それを判断できるのは、一人ひとりなのだと思います。
そう考えると、まずは私たち大人が、自分のビジョンや考えを整理しながら、自分自身を俯瞰しながら、一歩ずつ進むことが求められているのかも知れません。
「自分はこれ」「うちはこれ」と決めつけず、そのときの状況によってベストな選択をしていくこと。
自由自在に、川を流れる水のように姿を変えながら。

結論はありませんが、これが園長の考えです。
後から「あれも書いておけば良かった~」ということもあるかも知れませんが、だいたいのことはここにお伝えできたのではないかと思います。

最後に、放任主義については、これもまた燕のエピソード通りです。
放任主義が、「関わらないことの言い訳」にならないように、と思います。
燕は放任主義のような関り方をしているようですが、親としての責任(餌やりや見守りなど)はこなしている、と言えるでしょう。

今のところ、以上です。
ご質問いただき、ありがとうございました。
(そして超長文、大変失礼いたしました)

※写真は本日の「ほんわかシアター」にて、おばけが出てくるシーンの子どもたち☆
一人ひとり、健やかに育ってくれていることがとっても嬉しく、園長としてはとっても幸せです。

アクセス

駐車場のご案内

駐車場は、高田幼稚園南側(正面玄関の向かい側)の駐車場・高田本山専修寺の西側にある本山大駐車場(参拝者用以外)をご利用ください。
本山唐門前の駐車場は使用しないでください。

高田幼稚園ロゴマーク

学校法人 専修学園 高田幼稚園

〒514-0114
三重県津市一身田町746番地
TEL 059-232-2251 /
FAX 059-233-1733
ページトップへ ページトップへ