園だより
2025.06.05
大切なもの
皆さんには「大切なもの」がありますか?
「我が子!」というのはいったん横に置いて、例えば園長にとっては、エレキギターやあらいぐまのぬいぐるみ(3歳頃から持っているのです)だったりするわけだが、大切なものは、ときに「自分の弱み」になったりもする。
園長は4歳上の姉と3歳上の兄からよく「ポンちゃんがどうなってもいいのか!」とあらいぐまのぬいぐるみを人質に取られいじめられ、それはもうつらい思いをよくしたものだ。
一方そんな私も、姉のリカちゃん人形のお家を壊したり兄のラジカセを壊したりしているのでどっちもどっちなのだが、大人になった今、なるべくなら誰かの大切なものを大切にできる自分でいたいなぁと思うようになった。
それは、自分の大切なものを大切にしてもらいたいという気持ちが根っこになっているのかも知れない。
自分にとっては存在すら気にかけないようなものが、実は誰かにとっての「宝物」だったりするのだ。
そして、私たちは意識せずに誰かにとっての「宝物」を粗末に扱っているということがあるのだと思う。
さらに言うと「宝物」を粗末に扱うということは、その人を傷つけることにつながることだとも思う。
目の前の景色を見て、その目に映るものすべては誰かの「宝物」
意識せずとも、ときに粗末に扱ってしまうことがある。
そんなときは素直に「ごめんね」と謝ることができる自分でいたい。
どちらが正しい、どちらが間違っているという議論ではなく「あなたの大切な宝物を粗末に扱ってしまってごめんね」と素直に伝えることができたら、戦争する必要なんてないのになぁと考える私は青くさいのだろうか?
そんな簡単な話じゃない?
いや、私にはそんな簡単な話に思えてならないのだが。
それにしても「謝」という文字は不思議ですね。
“ごめんね”も「謝る」
“ありがとう”も「感謝」
二つの言葉の根っこは同じということでしょうか。